2024年07月12日

スポーツ賭博で大勝ちしたビリー・ウォルターズ

小ネタ
スポーツ賭博で大勝ちしたビリー・ウォルターズ

ざっくり言うと

  • 史上最高のスポーツ・ベッターのひとり、ビリー・ウォルターズ
  • 2007年、南カリフォルニア大学がミシガン大学を倒すほうに賭けて220万ドルを獲得
  • 2010年、スーパーボウルでニューオーリンズ・セインツに350万ドルを賭け勝利
  • 2017年、インサイダー取引で有罪判決を受け、懲役5年を言い渡される

中古車のセールスマンから史上最高のスポーツ・ベッターのひとりに上り詰めたビリー・ウォルターズ

ウォルターズは、1946年7月15日、ケンタッキー州の田舎町マンフォードヴィルで生まれます。父親は彼がわずか18カ月のときに亡くなり、母親はアルコール依存症。ウォルターズは、水道も電気もない貧しい家庭で祖母によって育てられます。

ウォルターズにとって初めてスポーツ賭博は1955年のワールドシリーズ。彼が9歳のとき、地元の食料品店のオーナーを相手に、ニューヨーク・ヤンキースがブルックリン・ドジャースに勝つほうに75ドルを賭けています。結果、ヤンキースは負けてしまうのですが、ウォルターズ少年がここでスポーツ賭博をやめることはありませんでした。

 

1965年、ウォルターズは結婚し、地元の自動車ディーラーに就職します。ウォルターズはこの仕事で成功し、1966年に5万6,000ドル(現在の40万ドル相当)を稼いでいます。一方で、この頃、ギャンブルで5万ドルほど負けたとウォルターズは語っています。

1971年、ウォルターズはギャンブルで家を失い、彼のギャンブル癖に嫌気をさした2番目の妻から離婚を切り出されます。しかし、それでも彼はギャンブルをやめず、自動車販売店を開業します。彼は10年間その仕事を続け、1981年にスポーツ賭博をフルタイムで行うギャンブラーになることを決意します。

この頃、彼は初めてケンタッキー州の賭博違反で逮捕され、罰金1,000ドルを支払ったことを機に、ギャンブル合法のラスベガスへの移住を決意します。

 

ラスベガスに移住して間もなく、彼はアイヴァン・ミンドリンとマイケル・ケントが仕切っていたスポーツ賭博グループの一員になります。彼は、コンピューターを使ったベッティング・オペレーションの一員として腕を磨き、わずか数年後に初めて100万ドルを稼ぎ出します。

この時点で、ラスベガスのブックメーカーのほとんどがウォルターズからの賭けを受け付けなくなります。そこでウォルターズは、独自のネットワークを作り、お金を払って他人名義で自分のための賭けを行わせていました。そこでもウォルターズは大勝ちするのですが、彼は、あえて自分が負けると思うチームに賭けて、本命に大きく賭けられるようベットラインを調整するようなテクニックを使っていたと噂されています。

 

彼は、30代後半から勝ち始め、1986年6月にラスベガスのカジノで約400万ドルを獲得しています。そこから30年以上、彼はスポーツ賭博で勝ち続けます。39年間のスポーツ賭博で、彼が負け越した年は1度だけだと言われています。

ウォルターズの最も有名な賭けのひとつは、2007年に南カリフォルニア大学がミシガン大学を倒すほうに賭けて220万ドルを獲得しています。また、2010年のスーパーボウルでは、インディアナポリス・コルツ戦で不利とされていたニューオーリンズ・セインツに350万ドルを賭けて勝利しています。

 

ウォルターズは、2008年から2014年のインサイダー取引で告発され、2017年に服役しています。この不正で、彼は約3,200万ドルの利益を得、約1,100万ドルの損失を回避することができたと言われています。彼に下った刑罰は、懲役5年、罰金1,000万ドルと厳しいものでした。

余談となりますが、この事件では、プロゴルファーのフィル・ミケルソンも関連性を指摘され、米国政府当局の財政監査を受けています。この調査で、ミケルソンは2010年から2014年の間に4,000万ドル以上をスポーツ賭博で失っていたと当局者に断定されています。

 

ウォルターズがギャンブルでいくら稼いだのかは、諸説あり詳細は不明です。それは、彼が徹底して自分の活動を秘密にしてきたからです。2014年に彼がインサイダー取引で告発された際、政府は彼の資産を調査し、レンタカーのフランチャイズ、7つの豪邸、ラスベガスのゴルフコース、プライベートジェット機など、彼の資産を約1億ドルと評価しています。しかし、彼の実際の資産は2億ドルを超えていたと噂されています。

 

◆ビリー・ウォルターズの名言

「私は、すべてのカモが何を考えているかを知っている。かつて私もそうだったからだ。そして、私が知っている成功したギャンブラーは皆、そこに到達するまでに何度も大失敗を経験してきたと断言できる。」