ざっくり言うと
- ドン・ジョンソンは、アトランティックシティを壊した男と呼ばれる
- リーマンショック後の不況時、カジノの足元を見て自分有利にルール変更
- 大勝ち後、ディーラーに10万ドルのチップを渡したことでも有名
2010年から2011年にかけてアトランティックシティの3つのカジノからブラックジャックで23億円以上(1,500万ドル以上)を稼ぎ、アトランティックシティを壊した男と呼ばれるドン・ジョンソン(本名ドナルド・ジョンソン)。
ドン・ジョンソンは、1962年5月10日にオレゴン州セーラムで生まれ、中流家庭で育ちます。幼い頃から競馬に熱中し、プロのジョッキーを目指しますが、10代で身長が180センチになりジョッキーの道をあきらめます。
しかし、ジョンソンは競馬業界にとどまり、最初は州の競馬監督官として働き、その経験を買われて2000年代にはフィラデルフィア・パーク競馬場の競馬場支配人の職に就きます。この頃から、カジノの少額コンプを利用してブラックジャックを始め、1ゲームあたり平均25ドルを賭けていました。
2004年、ジョンソンはワイオミング州にソフトウェア会社ヘリテージ・デベロップメントを設立します。この会社は、競馬ファンににコンピューター支援プログラムを提供し大成功を収めます。ヘリテージ・デベロップメント社は現在も存続しています。
2008年、リーマンショックによる金融危機がアメリカのギャンブル業界を襲います。業績不振に陥ったカジノは、これまで以上にハイローラー(大口の客)の獲得に注力し始めます。ジョンソンは、これを好機ととらえ、いくつかのカジノとブラックジャックのルールについて交渉を始めます。
彼の条件は、ジョンソンが50万ドル以上負けた場合、20%をカジノが返金すること。ディーラーのソフトセブンティーン(Aを11とカウントする17)はステイすること。エースをスプリットできること。カードは6デックにすることなど。このルール変更により、ジョンソンは、ブラックジャックのハウスエッジ(胴元の取り分)をわずか0.263%まで下げることに成功します。
一方で、カジノ側は、ジョンソンに最大賭け金100万ドル、損失リベートは毎日リセットなどを条件としますが、最低プレイ回数の条件はありませんでした。これは、ジョンソンが50万ドル負けた時点でやめれば20%のキャッシュバックで40万ドルのリスクしかジョンソンは負っていないことを意味します。
ジョンソンは、アトランティックシティのトロピカーナで、12時間の特別なブラックジャックをプレイします。あるハンドでは、ジョンソンは10万ドルをベットし、2組の8(4と4)が配られます。彼は、そのカードスプリットし、その後、3が2枚と2が2枚配られ、4つのハンドすべてをダブルダウンし賭け金は80万ドルになります。結果、ディーラーはバストし、ジョンソンは80万ドルを獲得します。
このルールで、ジョンソンはアトランティックシティのトロピカーナで600万ドル、シーザーズで400万ドル、ボルガータで500万ドルを獲得します。そして、トロピカーナとボルガータはジョンソンが不利なるようルールを変更し、シーザーズはジョンソンを出入り禁止にしました。また、ジョンソンは、大勝ち後、ディーラーに10万ドルのチップを渡したことでも知られています。
2017年、ジョンソンは、驚異的な成功とブラックジャック界への貢献により、ブラックジャックの殿堂入りを果たします。ジョンソンは、プロのブラックジャックプレイヤー以外で殿堂入りした数少ないプレイヤーの一人となっています。